東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)49号 判決 1985年1月30日
原告 株式会社松田商会
被告 国
訴訟代理人 小田泰機 堀千紘 外六名
主文
1 本件訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は原告に対し金五五六一万四〇〇〇円を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告
1 本案前の申立て
主文同旨
2 本案についての申立て
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 原告は、昭和四七年一一月二五日、静岡県賀茂郡南伊豆町手石字浜の上一二〇三番所在の山林一万一二四六平方メートル(以下「本件土地」という。)を、その所有者である鈴木多津恵から代金六〇〇〇万円で原告代表取締役松田榮夫(以下「松田」という。)の住居を建築する目的で買い受けた。
2 本件土地は富士箱根伊豆国立公園特別地域内に存しているので、同土地上に建物を建築するについては、自然公園法一七条三項、三八条、同法施行令二五条により静岡県知事の許可を受けなければならない。そこで、松田は、昭和四八年一〇月一八日、同知事に対し建坪三七・八二坪の二階建居宅の新築の許可申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、同知事は、同四九年四月一九日付け静岡県指令観第一九―一一二九号をもつて、本件申請に係る建物の建築は当該国立公園地域の風致景観を維持する上で重大な支障があるとの理由で不許可処分(以下「本件処分」という。)をした。
3 本件申請に係る建物は、周囲の環境を損なわないごく小規模な建物であるにもかかわらず、本件処分がなされたことにより、原告は、本件土地上に一切の建物の建築をすることができないこととなつた。
これにより原告が受けた損失に対する正当な補償額は、本件土地につき第一種特別地域として通常の規制範囲内で建物の建築が認められる場合に形成される価格と、一切の建物の建築が認められない場合に形成される価格との差額である。原告の前述の本件土地買受け代金額六〇〇〇万円は、本件申請に係る程度の、すなわち周囲の環境を損なわないごく小規模な建物の建築を前提とする場合の適正価格である。そして、本件土地上に一切の建物の建築が許されない場合の本件土地の価格は、昭和五〇年一月二七日当時において金四三八万六〇〇〇円(一平方メートル当たり約三九〇円)である。したがつて、右差額金五五六一万四〇〇〇円が本件土地上に一切の建物の建築が許されない場合の正当な補償額である。
4 原告は、本件補償請求について自然公園法に規定する手続を経ていないが、本件においては次に述べるとおり直接憲法二九条三項に基づいて補償請求をすることができる。
(一) 公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え特定の人に対し特別の財産上の犠牲を強いるものである場合であつて、財産権の制限を定めた法規に損失補償に関する規定を欠くときには、直接憲法二九条三項を根拠にして補償請求ができるとされている。
自然公園法三五条一項に規定する「通常生ずべき損失」について、被告は、いわゆる講学上の損失補償ではなく、不許可処分等によつて予期せざる費用が必要となつた場合の積極的かつ現実的な出費に対する補償という極めて限定的なものであるとしているから、いわゆる損失補償一般については自然公園法に何の規定も設けられていないのである。原告が本訴において請求している補償は、右にいう「通常生ずべき損失」の補償ではなく、いわゆる講学上の損失補償(具体的には処分による地価の低下分の補償)であり、これについては自然公園法に何の規定も設けられていないのであるから、直接憲法二九条三項に基づいて請求をすることができるものである。
(二) 現行行政事件訴訟法はかつての訴願前置主義を廃止したが、損失補償手続においてもこれと同様に、法が明文で憲法二九条三項に基づく直接の補償請求を禁止しているような場合は格別、単に行政処分を介在させた補償請求手続が設けられているだけの場合には、行政処分を経ることなく直接提訴して補償請求をすることも認められると解すべきである。
そして、自然公園法は直接の補償請求を禁止していないから、直接憲法二九条三項に基づいて補償請求をすることができるものと解すべきである。
(三) 自然公園法に規定する補償が憲法二九条三項に基づくもので、処分による地価の低下分の補償であると解しても、被告(主務官庁である環境庁)は、前述のとおり実損補償説を採り右のような地価の低下分の補償をする必要はないとしており、実際にも自然公園法上の補償について具体的基準を定めておらず、このような法の解釈、運用の結果として、昭和六年の旧国立公園法の時代から今日まで五〇年以上の間自然公園法の補償規定に基づいて補償が現実に実施されたケースは一度もないと言われている。
このように、自然公園法の補償規定は、被告(環境庁)の独断的な法の解釈、運用の結果、全く予定された効果を発揮していないし、事実上右規定によつて正当な補償を受けることは不可能であり、補償規定が存しないのと同様の事態になつている。このような場合には、直接憲法二九条三項に基づいて補償請求をすることができるものと解すべきである。
(四) 本件についての破棄移送前の控訴審判決は、被告の後記二と同旨の本案前の主張を前提として原告の訴えを却下したところ、最高裁判所は右判決を破棄移送したものである。
仮に、最高裁判所において被告の右主張を肯定すべきものと考えたとすれば、結論として控訴審判決は正しかつたことになるから上告棄却の判決をしたはずであるが、最高裁判所が右のとおり破棄移送したのは、被告の右主張を容れず、実質的審理を行う必要性を認めたからであつたはずである。したがつて、被告の本案前の主張は失当である。
5 よつて、原告は被告に対し損失補償金五五六一万四〇〇〇円の支払を求める。
二 被告の本案前の主張
自然公園法三五条は、その一項において、国は同法一七条三項等の許可を得ることができないため損失を受けた者に対して通常生ずべき損失を補償すると規定し、その二項、三項において、環境庁長官は、補償を受けようとする者の請求に基づき、補償額を決定、通知すべきものとし、同法三六条は、右決定に不服のある者は右通知を受けた日から起算して三か月以内に補償額増額の訴えを提起することができる旨定めている。
しかして、自然公園法の右損失補償の規定は、憲法二九条三項の要請する損失補償を、自然公園法一七条三項等によつて生ずる特別の犠牲に対する補償に関し実体的、手続的に具体化したものであつて、右自然公園法の補償規定によつて補償すべき内容は、憲法二九条三項が要求する補償の内容と同一である。
右のように、自然公園法一七条三項等によつて生ずる特別の犠牲に対する損失補償につき、同法三五条、三六条という個別法規が環境庁長官による補償額決定という行政処分を介在せしめ、それに対する不服のための特別の訴え(補償額増額の訴え)の制度を設け、その出訴期間を制限していることは、国に対して同法一七条三項等に起因する損失補償を求める者はもつぱら同法三五条、三六条所定の右手続によつて補償を求めるべきであるとしたものであつて、右手続によらずに国に対して直接損失補償を訴求することを許さないとするのが法の趣旨であることは明らかであるから、右手続によらないで、国に対して右損失補償を求める原告の本件訴えは不適法である。
原告は、自然公園法の補償規定に関する環境庁の見解及びそれに基づく法の運用が自己の見解と異なること、すなわち環境庁の考える補償額が原告の想定する補償額より低いがために右補償規定の実効性が期待できないと主張するが、見解が異なるが故に法の実効性が期待できないとするのは失当である。ちなみに、自然公園法上、前述のとおり補償額増額の訴えが認められており、原告としてはこの訴えにより環境庁長官の損失補償の決定の当否を問題とすれば足りるのであるから、これ以上に直接憲法二九条三項に基づく損失補償請求を求める必要は何ら存しない。
理由
一 原告は、本件訴えにおいて、本件処分により本件土地上に一切の建物の建築をすることができないこととなつたとの前提に立つて、そのために受けた損失に対する正当な補償を直接憲法二九条三項に基づいて請求するところ、原告の主張する右損失は、自然公園法三五条一項に規定する「第一七条第三項……の許可を得ることができないため」に受けた損失に該当する。
右損失の補償については、自然公園法三五条一項ないし三項、三六条において、国は、損失を受けた者に対し通常生ずべき損失を補償することとし、補償を受けようとする者は、これを環境庁長官に請求しなければならず、環境庁長官は、右請求を受けたときは補償すべき金額を決定し、当該請求者に通知しなければならず、更に、右決定に不服がある者は、その通知を受けた日から起算して三か月以内に国を被告として訴えをもつて補償すべき金額の増額を請求することができると規定されている。自然公園法の右損失補償の規定は、憲法二九条三項が要請する損失補償を実体的、手続的に具体化したものであり、このように具体的損失補償請求権についてその行使・確定の手続が法定されている場合には、当該手続によつてのみ損失補償を請求すべきものであり、右手続によらないで直接憲法二九条三項に基づいて損失補償請求をすることは許されないと解すべきである。
原告は、自然公園法は直接憲法二九条三項に基づいて補償請求をすることを禁止していないと主張するが、所論は自然公園法が前述のような損失補償の規定を設けた合理的意義を無視するものであり採用できない。
そうすると、原告が本件補償請求について自然公園法に規定する手続を経ていないことは当事者間に争いがないから、原告の本件訴えは不適法な訴えというべきである。
原告は、本訴において請求する補償は自然公園法にいう「通常生ずべき損失」の補償ではないから、直接憲法二九条三項に基づいて請求することができると主張する。しかしながら、自然公園法が「通常生ずべき損失」を補償するとしているのは、憲法二九条三項に基づき同項にいう「正当な補償」を法律上具体化したものであり、補償の範囲について差異を設けたものではないと解すべきであるから、原告の右主張は失当である。
また、原告は、自然公園法の補償規定は被告(環境庁)の独断的な解釈、運用の結果実効性を失い、補償規定が存しないのと同様の事態になつているから、直接憲法二九条三項に基づいて補償請求をすることができると主張する。しかしながら、憲法の要請する損失補償についてその行使・確定の手続が前述のとおり法定されており、その手続を経由させることは合理的でもある。したがつて、仮に、環境庁長官がした具体的な損失補償の決定が自然公園法あるいはその基となる憲法の補償規定に違反していると原告が考えたならば、補償金額の増額を請求する訴訟においてこれを指摘して、是正を求めれば足りるものであり、原告の右主張も失当である。
更に、原告は、最高裁判所が原審判決を破棄し当庁に移送したのは、被告の本案前の主張を容れず実質的審理を行う必要性を認めたからであると主張する。しかしながら、最高裁判所は追加的併合の要件を満たさない本訴を原審裁判所は直ちに却下すべきではなく、本訴がその管轄に属さないときは、これを管轄裁判所に移送すべきであると判示したにすぎず、本件訴えの適否について判断したものではない。したがつて、原告の右主張も失当である。
二 よつて、本件訴えは不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山本和敏 太田幸夫 杉山正己)